江戸時代には遊郭以外の風俗店があった!

江戸時代の風俗店と聞いてイメージするものと言えば吉原などの遊郭を思い浮かべるでしょう。しかし当時の江戸には吉原以外にも性的サービスを行う店があったのです。それはどんな場所だったのでしょうか?

江戸初期に大流行!湯女

湯女というのは、温泉や銭湯で垢すりや髪すきなどのサービスを行う女性の事を言います。もともと、中世の有馬温泉などの温泉宿で行なわれていたのですが、江戸時代に都市が発展するとそちらに移り住むようになり、銭湯で垢すりなどのサービスをおこなっていました。ですが次第に性的サービスを行うようになります。

ここで働く女性は朝から風呂を炊いて入浴すると、客に垢すりや髪すきを行いますが、16時を過ぎた頃には風呂の上がり場に座敷を作ります。風呂場で客の背を流していた女性たちは、服を着て化粧をすると座敷で三味線などを弾く、と言った形で性的サービスを行っていたようです。この銭湯が人気を呼び、美人も多かったことから、遊郭のようになっていたと言われています。

あまりの人気ぶりに幕府から禁止される

元々幕府の許可なく行なわれていたサービスだったこともあって、1637年には1店舗につき、3人以上の湯女をおくことを禁止しました。しかし、徹底されることがなかったので1648年に今度は全面禁止令を出します。

ですがこれも効果は無かったようで、最初の禁止令から20年たった1657年、当時あった200軒を超える江戸全域の風呂屋を打ち壊しにすることで廃業に追い込みました。ここで働いていた女性たちの一部は吉原で遊女になったものも多いようです。ちなみにこの湯女は大阪や京都などの上方でも流行っていたようです。

旅人の疲れを癒す宿で性的サービス。飯盛女

江戸時代になると、それまで荒れ果てていた各地の街道が整備され、東海道などの交通網が発達し、各地に宿場町が整備されるようになります。すると、そこに旅人を泊める旅籠という宿が出来ました。この旅籠と言うのは今で言う旅館で、旅人に食事も出されていたようです。実は、この旅籠の中に性的サービスを行うものがありました。それが飯盛女です。

彼女らはもともと旅人のために給仕を行う女性たちでしたが、商売競争の激化から性的サービスを行うようになります。基本的に幕府は遊郭以外の遊女を認めていなかったのですが、宿場の維持は幕府にとっても重要なものだったので、半ば黙認していたようです。ただし、増えるのは良しとしなかったのか、各宿場町に人数制限を設けていました。後に飯盛女をおく旅籠を飯盛旅籠、そうではないもの平旅籠と呼ぶようになります。

客引きに嫌気がさす旅人

江戸中期になると賑わった宿場町にも問題が生まれます。商売競争が激化するに連れて強引な客引きや言い寄る飯盛女に嫌気が差した行商人から、安心して泊まれる場所がほしいという要望がでます。そこで各地に旅籠の組合が生まれました。組合では優良な旅籠を指名し、加盟した宿には目印の看板を立てると言った対策をとって旅人が安心して泊まれるようにしたようです。この様にして宿場町の旅籠は発展していきました。

この様に江戸時代には遊郭以外の性的なサービスを行う店がたくさんありました。この他にも、街角で男性に買ってもらうタイプの女性たちもいたようで江戸では夜鷹と呼ばれていました。何れにせよ江戸幕府は私娼を禁じており、湯女のようにかなり厳しく取り締まっていたようです。

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