源氏物語はヤリチン男の物語!?

性に関する問題がタブー視されることによって、偉大な古典文学作品にさえもフィルターがかけられてしまいます。セックスを隠す理由とは何なのでしょう?この問題を解決するにはまずは正面から向き合う必要があります。

性がタブー視され始めたのは実は近代に入ってからのことです。それ以前は、セックスに対してオープンなものでした。 このような傾向が広まったのは明治以降に西洋の文化や考えが入って来たことによると言われています。キリスト教の貞操観念を曲解してしまったことから、性=タブーという考えが浸透してしまいました。 考えてみれば、江戸時代は公営の風俗店である遊郭が設置されていましたし、古典文学作品には当たり前のようにセックスの描写があります。 セックスはごく当たり前の人間的な活動として認められていました。

古典文学に見るセックス

源氏物語伊勢物語といった恋愛を描いた文学作品には多くの性的な描写が盛り込まれています。古典の教科書で紹介されるのは、こういった描写の出て来ない「健全な」部分だけですので、この事実を知らない人も多いのではないでしょうか。 特に、源氏物語の主人公である光源氏は現在でいう所のヤリチン野郎です。その美しいルックスと貴族出身という育ちの良さを利用して女遊びを繰り返しています。また、相手も幅広く、幼女から熟女まで口説いています。最終的には自分好みの女性を育てるために美少女を引き取ってしまう、という現代であったら大問題になってしまう変態行為にまで走っています。 このようなとんでもない男の話ですが、平安時代には貴族の間で大流行し、現在まで受け継がれています。

時代によって変化する性への考え

このように、かつての日本は性に対する高い理解を持っていました。しかし、現在では性はタブー視されています。もし、現代の作家が源氏物語を発表していればヒットしたとしても高貴な文学作品として取り扱われることはなかったかもしれません。 現に、古典の教科書では源氏物語の無難な部分だけを抜粋した誤った光源氏像を教えています。 このように、偉大な芸術作品にまで手を加えてしまうほどの状況はどう考えてもおかしなものです。 時代によって考えは変化するとはいっても、すこし異常です。

性に関する問題をオープンにすることで、さまざまな問題を解決することができます。また、芸術の世界に自由を与えることだってできます。 もちろん、セックスをオープンにし過ぎてしまうと、さまざまな問題が発生してしまうこともあるでしょう。しかし、包み隠しているばかりでは根本的な問題の解決はできません。 まずはしっかりと性と向き合う姿勢を持つことが重要です。

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